乾癬という病い

このブログは、難治性皮膚疾患である乾癬という病いとともに生きる、一人の人間の記録です。

2022→2023

あー全くブログを書けていなかった。

 

今年、たくさんの大きな変化があった。

人生の中でも2022年以前と以降で語れるほど

大きな変化だ。

 

私の中でコロナ禍はとっくに終わっているのだが、

日本はまだまだ終わらないようだ。

国民が悪い部分が多分にある。

 

乾癬に関して言えば、今年はずっと生物学的製剤により寛解状態を維持している。

 

その心の内と、少しずつ変化していく気持ち。

プライベートがひと段落したいま、またブログを

始めてみようと思う。

 

書きたいことは山ほど

暫くプログをお休みしていた。

でも書きたいこと、いや、書かなきゃいけないことは山ほどたまっている。

でも世の中は全体主義の真っ只中。

全体主義は驚くほどのスピードで一気に進んだ。

ゆっくりと変化した先に全体主義が待っていると思っていたが、そんな事はなかった。

私は今、寛解状態だ。

その自分で、この世の中を生きている。

これから少しずつ、書けなかった時間を綴っていこうと思う。

 

乾癬患者としての視点

私が乾癬になって得たものがあるとするならば、それは多分、「患者」としての視点だろう。
乾癬に関していえば私は人生をずっと患者として生きてきた。

子供の頃から周りの人たちの「乾癬」に対する様々な反応を見て育ってきた。小さな頃は、子供同士の純粋ゆえの無邪気で正直な病気への言葉や態度。大人になってからは、見て見ぬ振りをする人や心配してくれる人、そしていちいち指摘してくる人や気持ち悪がる人、同情してくれる人や変に気を使う人。

ありとあらゆる反応を見てきた。
それはすなわち、病気や異質なものに対する人間の反応だ。

お陰で、人の気持ちの動きにはとても敏感な人間になってしまった。

子供の頃から思春期にかけて、乾癬であることで悩み、苦しみ、傷ついて泣くことが多かった。
そういう時、親はいつも「泣いても仕方ない。傷つけてくる人がいたらその人が悪いんだから、そういう時は言い返せばいい。乗り越えるしかないでしょう?もっと強くならないと」と私に言っていた。

でもあの頃の私には「乗り越える」という言葉の意味が分からなかった。「乗り越える」って、もうこの病気の事で泣いたり傷ついたりしないってこと?もうこれ以上乾癬で悩んだりしない事が「乗り越える」ってこと?

治る病気なら、治った時が「乗り越えた」って言える時なんだろうけど、治らない病気になった人は、どうなれば「乗り越えた」ってことになるの?
ずっと自問していた。悩み苦しむ私は、弱い人間だと言われているようでつらかった。
そのうちに私は、親にすら弱音を吐けなくなった。泣く時は自分の部屋で一人で泣いていた。

大学生になった時、世間では「ポジティブシンキング」なる言葉が流行り出した。「前向き」が素晴らしい事とされ、「後ろ向き」はクライ人、ネガティブな人とされた。そういう自己啓発的な本も世間ではたくさん出版されていた。

私はいつも考えていた。
「前」ってどっちだ?

私から見て「ポジティブに!」「前向きに!」と言っている人達の「前」は、とても「前」には思えなかった。それは単に苦しい事、辛いことを見ずに考えずにやり過ごしてるだけにしか見えなかった。
一時的にやり過ごせたとしても、そんな考え方じゃまた同じような事で傷ついて、苦しむ事になるんじゃないのか。
なら私から見ればそれは「前」ではなく「後ろ」だ。
私には世間の言う「前」の根拠がさっぱりわからなかった。

勿論、人によってはそのポジティブ思考が奏功することもあるだろう。でも私が抱える苦しみはそんな類のものではなかった。
世間で流行るポジティブシンキングは私の中を空虚に通り過ぎ、より孤独を深めた。

ずっと患者として生きてきた自分には、患者の気持ちがよくわかる。基本的に私の全ての考え方は、病を持つ患者としての視点から発している。

だから私は根本的に、病や異質なものに対しての偏見を持っていない。常に偏見を持たれる側だったからだ。
当然のように、どうしようもない不条理や理不尽で苦しむ他者に対して傷つけるような愚かな行為も絶対にしない。傷つけられる苦しみは十分に知っている。

だけどこのコロナ禍はどうだ。

私はSNSをやっているが、その中は人々の無知な悪意で溢れている。
コロナだって病だ。病気だ。風邪だってインフルだって人からうつされたりうつしたりして今まで普通に共存してきた。それで人を差別したり、人々の間を分断したり、経済を止めたりなんてしなかった。

なのに人々は恐怖によって集団ヒステリーを起こし、新型コロナだけを特別視し、感染の仕方によって善悪を分けている。会食して感染したら悪で、真面目に満員電車で通勤して感染したら可哀想、なんてことになっている。

じゃあ乾癬はどうだ?
暴飲暴食し喫煙していた人が乾癬になったら、それは自業自得なのか?自業自得なのだから保険を使って治療するに値しない人?
真面目に生きてきてストレスをためて乾癬になったらそれは気の毒で治療するに値する人?
じゃあ物心ついた時から乾癬だった私は、どういう人に分類される?

感染症とほかの病気は違う、ともし思ったとしたら、それも間違いだと思う。

何が原因で乾癬になったか、どこでウイルスを貰って新型コロナにかかったかなんて結局のところ特定なんてできないし、どう頑張ったところで人間は老いと共に病を得て、最終的に死に至る運命を避けることは出来ない。絶対にだ。

若い人だっていろんな事が原因で免疫力が弱まると病にだってかかる。誰だって自分の持つ免疫で対抗できたら治るし、対抗できないと死が待っている。

私がSNSで非常に残念に思うのは、私と同じ病の人でもコロナ禍において他人の病を無意識に差別している人がいる事だ。

「コロナが近くで出た!」
「友人がコロナにかかって意識不明に!」

なぜだ。なぜそんな人の病に関する事を平気でSNSで流す?病はとてもセンシティブで個人のプライバシーに関わることだ。いくら匿名でもSNSで簡単に垂れ流していい事じゃない。他人に注意を促す善意のつもりで書いているんだろうが、それが恐怖を煽り、差別につながるという事がなぜわからない?
だけどこういう人達に限って、自分が傷つけられたり差別される事にはとても敏感で、他人には自分の病への理解や優しさを求めたがる。

私は乾癬患者の視点からずっと考えている。
コロナ禍では人々にとって、科学的なデータやエビデンスなんかより、根拠なき恐怖の方が力を持つんだ。そしてほとんどの人が正義ぶった同調圧力で、人を差別することがよくわかった。

だったら乾癬はうつらない病だとどれだけ啓蒙したところで無駄だろう。人はエビデンスなんか実はどうでもいいんだから。「気持ち悪いから嫌なんだ!」と言われてしまえばそれで終わりだ。仕方ない。
「気持ち悪い」「怖い」という他人の感情を前に、乾癬患者はエビデンスでは太刀打ちできない。ああそうですよね、気持ち悪いですよね、嫌な思いをさせてしまい申し訳ありません、とコロナ患者のように病気になった側が謝るしかない。

だから「この治療法にはエビデンスがない」、「自然療法なんか無駄だ」「アヤシイ治療法には手を出すな」「標準治療をしろ」なんていくら言ったところでなんの説得力も持たない。だって科学は無視されるんだから。

これを読んでまたそんな極端な考えを、と思う人がいたなら、今の世の中を見てみればいい。その極端な狂った事態がまさにいま繰り広げられている。

それにコロナの死者数は日本においてインフルより少ない。インフルはワクチンも治療薬もあるのにだ。
インフルよりコロナの方が怖くて危険なウイルスだというエビデンスがあるなら教えてほしい。私は死者をより多く出すウイルスの方が圧倒的に怖いのだ。

今本当の弱者は、言われなき差別で苦しむコロナ患者と、感染拡大の槍玉にあげられて働かせてもらえない業界の人々、そして若者や、非正規•パートで働く人たちだ。家にいながらにして「出歩くな!」と他人の行動を規制しようとする人たちは本当の弱者ではない。

私はずっと病を持つ患者として生きてきた。
だからどんな時も、本当の弱者の側につくと決めている。

こんなふうに恐怖に怯え、他人を監視して、罰を与えるべき!と叫びながら人生の貴重な時間を過ごしていて本当にいいのだろうか?
そもそも「病気になるな」なんて無茶苦茶な要求だ。コロナを避けて家に閉じこもっても別の病気になってしまうだろう。

必ずやってくる死を避けようとするより、限られた時間をどう生きるか考える方が、大事なことじゃないのか。
それが本当の意味で、命を大切に使うって事なんじゃないだろうか。

あれっ、私の考え方ってすごく「前向き」じゃない?

 

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スキリージ3回目

10月に3回目のスキリージを打ちに病院へ行った。初めてのスキリージから3ヶ月が経ったが、まだ効果は見られない。肘、首回り、頭皮、肩、背中にある皮疹は少しづつ広がり鱗屑も厚みを増している。
それとは対照的に下半身、足はステラーラの時に皮疹がほぼ消えて以来、ずっと綺麗なままだ。

今年の夏は半袖が着れなかった。買っていたワンピースも着れなかった。
マスクも必要だったから、のぼせて頭がクラクラしたり片頭痛に悩まされたりで、うんざりした夏だった。

今まで生物学的製剤はステラーラ→トレムフィア→スキリージと、IL-23阻害薬を試してきたが、この系統だと私にはどうもある一定のところまでしか改善されない。PASIでいうと75位の達成率でスコアとしては悪くはないのだが、皮疹の消えない部分が人から見えてしまう部分なので、どうしてもストレスを感じてしまう。

その辺りを今回は医師に相談したかった。いくつかの理由でこの系統の生物を試していたが、もうこれ以上の改善には限界かなという気がしていた。

診察室に入り医師に体をみせると、
「んー、そうですね、皮疹消えてないですね。でもスキリージは効くのに時間がかかりますからね」と言われ

「そうなんですか?あー、確かにステラーラの時も効き始めるまでに14週はかかりました。」と答えた。

そうだった。初めて生物学的製剤のステラーラを打った時、効き始めるまでの14週間は本当に長く苦しい時間だった。それからPASI80ほどに改善された後、しばらくして次第に悪化していき(PASI70程度)、生物をトレムフィアに変えた。
そのトレムフィアでも効果を感じられるまでに13週はかかった。トレムフィアでは最高PASI85〜90ほどまでに改善された。この時は本当に乾癬患者であることを忘れて生活ができた。肌を気にすることなく過ごせたし、沖縄の海でだって泳げた。本当に幸せな時間だった。

「じゃあ効かないと判断するのはまだ早い…?」と聞くと、
「早いですね。これから効いてくる可能性は充分あります。まぁ効かないという可能性ももちろんありますが…」と医師は答えた。そして、

「でも大体みなさんPASI75〜85くらいですよ。きれいに完全に乾癬が消えたっていう患者さんはそんなにいないです」と言った。

私は医師のこの言葉をどう捉えていいのか分からなかった。
確かにスコア的には悪くないというのは分かる。QOLは生物学的製剤で格段に上がった。でも自分の中で皮疹が他人から見えてしまう部分に出ている事と(夏に半袖が着れない)、高い医療費を払っているのだから少しでも良くなりたいと思う自分がいるのだ。

私は欲張りになったな、と思う。
最もらしい理由を並べてみても、初めて生物学的製剤を打ち、乾癬がどんどん消えていった時には、PASI65くらいの達成率で「これでも十分だ。乾癬が全部消えて欲しいなんて願うのは贅沢だ。もう十分にありがたい」と思った事を確かに覚えている。
さらにその時の診察では、主治医とは別の医師が診察室に顔を出してくれて「僕らが目指すのは皮疹ゼロだ。あなただってその方がいいでしょう?」と言ってくれた。

私はその力強い言葉にとても驚いたが、いつの間にかその言葉が自分の中でどんどん大きくなり、そうなりたいと思う自分になっていた。

私は「3ヶ月後の次回、変化がなかったらこの生物を変えたい」と伝えると、医師は「じゃあ変化がなかったら次はIL17系統でいきましょう。コセンティクスでいいんですよね?スキリージもコセンも病院に準備はしてあるので、その時、状態を見て決めましょう」と。

「ただコセンティクスにすると次回来年の1月は病院に来てもらう回数が増えますが大丈夫ですか?自己注射の指導などがあるので」と聞かれて、そう言えば来年から仕事が忙しくなることに気がついた。

「あっ、そうだ、年明けから忙しくなるんだった、、職場の人員が減っちゃう予定で…」と私が言うと、
「じゃあ土曜日診察している病院を探してはどうですか?」と言われてしまった。
まあそれはそうなのだが、病院を変えて、いちから自分の体を診てもらうにはなかなか労力がいるし、今の病院は自分の住む沿線上にある上に、会社からもひと駅と立地がとても良いのだ。

何を優先し、何を妥協するのかはなかなか難しく、色々と思うことはあったが、それを考えている事を医師に悟られたくなくて、私はすぐに「あ、なんとか仕事調整するようにします」と慌てて答えた。

本当はただただ乾癬が良くなる事だけを考えていたい。
医師との関係や、どの薬を選ぶのが最善の策なのかを自分でずっと考え、調べ、判断しなければいけない事に正直少しだけ、しんどさを感じている。

人生の中で肌を気にせずに生活出来たのは、トレムフィアが効いていた去年のほんの数ヶ月のみだ。人生の中でそのたった数ヶ月間の喜びがどれ程のものだったのかなんてきっと誰とも共有できない。私が生まれて初めて経験したクリアな肌だ。

何が起きるか分からない人生の中で、私の確かな望みはクリアな肌で少しでも長く生活する事だ。
クリアな肌で、より人間的な生活をしたいと強く望んでいる。

「らしさ」って制限された中からではなかなか生まれない。自ら選び、行動する中で初めてその人らしい好みや個性が生まれてくる。
そんな事すら知らなかった。
幼い頃から色んな我慢をして、色んなことを諦めて生きてきた。でも今やっと生物学的製剤で、当たり前の「自由」を手にすることが出来た。

私は「自由」について考えた。深く考えた。
人間らしく生きるって、この自由なくしては有り得ないんだ。

乾癬は治らないといわれた時代を長く長く生きてきた。でも今は違う。生きているうちに寛解する治療法ができた事は本当に奇跡的な事だ。だから出来る時に出来ることをしないなんてもったいない。

人生は長いようで長くはない。もう1日だってクリアな肌で生きられる時間を無駄にしたくはない。

そう願うのは、たぶん、贅沢なんかじゃないんだ。

 

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人間の感情

今の日本の状況を憂いている。

4月のブログで「コロナも怖いが本当に怖いのはその中で本音や本性を現す人間の姿だ」と書いたが、今の日本の状況は私が予想していたよりずっと酷い。

あくまでも日本においてだが、新型コロナウイルスの国内の重症者数、死者数等をずっとみていれば、経済を止めるほどのウイルスではない事は明白だ。
もうそれは5月頃からわかっていた事で、ほぼ無策で(接触8割減の「要請」はあったが)、世界一の高齢化社会である日本において、死者数が少ないという事実を、国民はもっと冷静に考えなければいけない。

むしろ今回の新型コロナ騒動で、私はインフルエンザがいかに怖いウイルスであるかを思い知らされた。

こんな事を書けば批判を受けるかもしれないが、新型コロナは、子供や若者が罹患しても殆どの場合が無症状か軽症で終わる。死亡しているのは大体基礎疾患のある高齢者だ。
それに比べるとインフルエンザは非常に厳しいウイルスで、感染すると、子供から大人そして高齢者と、全世代にわたって苦しい症状を発症させ、1週間は社会活動を出来なくさせる。
驚くべきはワクチンや薬があるにも関わらず、毎年日本で1000万人がインフルエンザに罹患し(しかもこの数字は発症して病院で診断を受けた人数で、病院へ行っていない人、つまり無症状の人は含まれていない)、関連死は1万人にも及ぶ。ちなみに現在(8/29)世界での新型コロナウイルスの感染者数は約2400万人だ。

インフルエンザとは比較できないとよく言われるが、むしろ比較しないとダメだと思う。
単純に、死者をより多く出すウイルスの方が私は断然怖い。むしろ焦点はそこのはずだが、みんなは違うのだろうか?

データを無視し、毎日毎日ただPCR検査の陽性者数だけを報道するマスコミ、不安を煽る専門家達によって国民は恐怖に洗脳された。本当に見事なまでに洗脳された。

人々は感染者を犯罪者のように探し出し、その行動を暴き、徹底的に叩いた。誰かを、特定の職業を、特定の地域をスケープゴートに仕立て上げないと、自分の不安をどうにも処理できない心理に陥った。
しかもそれだけに留まらず、「2週間後が」「重症者はこれから増える」「後遺症が」などと他の病気にも当然あり得る事を言い出して、不安の中に留まらせようとする。
そしてコロナ禍おいては巧妙な脅し文句となる「高齢者や持病を持っている人にうつしたらどうするんだ」という言葉を使って、他人の行動を規制しようとする。
もっともっと多くの死者を出すインフルエンザではそんなことは言わないじゃないか。みんな各自が気をつけながら普通に生活してたじゃないか。

政府が「GoTo使ってください」「それぞれ感染予防しながら動いてください」とわざわざ言ってくれているのに、マスコミによって洗脳された国民はそれに「No」を突きつけた。各知事もその流れに乗った。

政府が国民を安心させる為の説明をせず、ひっそり緩和政策に切り替えたことで、より一層国民は混乱と不安に陥った。

欧米ではマスク着用義務化(違反すれば罰則)に反対する人々のデモが多発している。日本人には奇異に映るのかも知れないが、彼らから見ると、互いを監視し合い感染者を悪者にし、村八分にする日本人が逆に奇異に映っている。欧米人の自由や人権に対する当然の強い希求を、日本人には理解出来ない。

欧米だけではない。コロナ禍でも香港では民主主義、自由、権利を命がけで守ろうとした人達が沢山いた。この真に勇気ある行動も、日本人にはおそらく理解できないし、同じ状況に今の日本人が置かれたら、きっとお互いを監視し合うだけなんだろう。

文化や価値観、習慣の違いを受け入れる事こそ多様性を認める事であり、それぞれの違いを正誤で判断してはいけないはずだ。分かっていても感情的になかなかそれが出来ない。

私は乾癬患者としてこのコロナ禍でずっとずっと思っていることがある。いくら乾癬が絶対にうつらない病いだと、科学的、論理的に説明したとしても、他人から見ればうつるかうつらないかなんて実はどうでもいいんじゃないか。いざとなれば「汚い」「怖い」という感情だけで日本では簡単に排除されてしまうのではないか。それほどまでに日本人は今、理性を失っている。

コロナ禍においてパニックに陥った人達は、特定の職業に対して「世の中に必要のない仕事」とまで言い切り、感染の仕方によって善悪を分けた。そして経済により今後失うかもしれない多くの命を、なぜか他人事のように捉えている。

私は恐ろしかった。人の本音なんてこんなものだ。普段は物分かりの良いフリをしているが心の中ではいろんな理由で他人を見下し、差別している。本音では社会的弱者のことなんてどうだっていいのだ。

最近やっと政府の中でも新型コロナウイルスを指定感染症から外すという見方がでてきている。

国民はどう反応するのだろうか。

それでも人間が非科学的に思い込んでしまったものはそう簡単には覚めないんだろう。洗脳とはそういうものだ。
過去最高に暑い夏に、みんなが炎天下でマスクをしている状況をみているとつくづくそう思う。
これじゃ熱中症で死んでしまう確率の方が高いんじゃないのか。コロナ以外の死はもはやどうでもいいのだろうか。

国民が、戦後最大の恐怖と不安のただ中に置かれている中で、突然辞意を表明した首相。

人生に、予想外の出来事なんてこれからいくらでも起きる。我々は自分の頭で考え行動をしなければいけない。でもそれは本来当たり前のことで、弱者に寄り添いながら、人間らしい生活を普通に続けていくことこそが、今で出来る最善の事だと私は思っている。

 

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スキリージ2回目

1回目の注射から4週間後の7月最終週、2回目のスキリージを打ちに病院へ行った。

コロナ対策の為、入り口で体温を測り手指消毒をし、採血等の検査を済ませて皮膚科へ向かう。

待合の長椅子には患者が間隔を開けて座れるように張り紙がしてある。こういう光景が今や日常になった。

最近通院日は気が重い。医師と意思疎通ができていないからだ。コロナ以前はうまくやれていたのにな、とため息をつく。

順番が来て診察室に入る。なんとなく医師の顔をまっすぐ見れない。目を逸らしながら、お願いします、と挨拶をし椅子に座る。

「スキリージ、どうですか?」

「まだ変化はないです」と私は言って体をみせる。

「あー、そうですね、立ち上がりに時間がかかりますからね」と医師は言う。

私は思い出したように「そう言えば前回スキリージを打った後、体が怠くなって動悸がしました。1日でおさまりましたが」と伝えると、

「うんうん、あ、そうですか」と、取り立てて気にも留めない様子で注射の準備を始めた。

そして二本の注射をお腹に打った。

「では次回は3ヶ月後、何時にしますか?」

淡々と予約を取り、あっという間に診察は終わった。

なにも言えない雰囲気がなんとなく出来上がってしまった気がして複雑な気持ちになった。

今後、ただの風邪だったりインフルエンザ、ましてや新型コロナになんてかかろうものなら、「あなたが生物を打つと決めたんですよね?」と言われそうな気がした。まあ気がしただけだけど。

でも私にできるのは今までのように変わらず体調に気をつける事と生物学的製剤が効いてくれることを願う事だけだ。望むのは、生きているうちに1日でも長くクリアな肌で生活をする事。ずっとずっと乾癬患者だったんだからそれくらい望んだっていいじゃないか。

誰に向けて言っているのかもわからない怒りにも似た想いが自分の中をぐるぐる回る。

帰宅してシャワーを浴びようとして体を見たら、注射した部分がひどく内出血していた。そういえば今日の注射はちょっと痛かった。

ステラーラ、トレムフィア、そして今回は3種類目の生物学的製剤となるスキリージ。

スキリージが効きますように。

そして1日でも長くクリアな肌でいられますように。

 

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スキリージ

生物を打ってもらえなかった6月、肘全体を覆うように乾癬の皮疹は広がり始めた。

どうやって隠そうか、どうやったら暑さを凌げるのか、そんな事ばかり考えるようになった。

7分袖のカーディガンを会社に着て行っても時々動きによって肘が出てしまう。とたんに身体が緊張し、肩に力が入り、乾癬を隠すことに気を取られ、また頭痛も頻繁に起きるようになった。

久しぶりに感じる「不自由」だ。

5歳で乾癬を発症しずっと皮疹だらけの肌で生きてきたが、生物によってここ2年近くクリアな肌を経験してしまった私にとってこの不自由さを再度受け入れることは難しかった。

会社で棚の上の方にある書類を取ろうと手を伸ばす。袖がめくれて皮疹があらわになる。

同僚の視線が私から私の腕に移る。

私は、見られた、と思い、相手もなんとなく見なかった振りをする。

皮疹から鱗屑がヒラヒラ落ちてしまった時もそうだ。私は焦り、それを見た同僚もまた、そのことに触れてはいけないんだろうと察して見なかった振りをする。

こういう無言のやり取りに、数え切れないほど心を潰されてきた。相手に気を遣わせる事ももう耐えられない。

乾癬である事を相手に言えばいいのかというとそんな簡単な問題でもない。言ったことで後悔したり更に傷つくことだってある。

7月になり診察日を迎え、私は少し緊張しながら病院へ向かった。また医師に「あなたは不安そうに見える」と言われたらどうしようか。

病院の入り口で検温を済ませ、受付をし、順番が来るのを待った。

順番がきて診察室に入り医師の前に座るとすぐに、「どうですか?前回はかなり不安そうでしたが」と聞かれた。

私は「いえ、前回もそうでしたが不安はないですよ」と努めて冷静に答えたが、

「そうですかね?前回は不安で泣きそうになってましたよ」と言われた。

そう言ってくる医師に対して少し思う事はあったが、敢えて笑いながら「えーそうですか?全然大丈夫ですよ」と返した。

医師は「そうですか。じゃあもう後悔はしないって事で…」と言いながら、新しい生物学的製剤のスキリージを箱から出して、注射する準備を始めた。

なぜこの医師はまたもやこんな言い方をするのだろう?もはや医師と患者の信頼関係なんて成立してない言葉だ。インフォームドコンセントのかけらも無い。

本当は医師に聞きたい事は色々あった。でも面倒な患者と思われたくないという思いと、今回は絶対に生物を打ってもらいたかったので私は何も言わずに注射して貰うのを待っていた。

本来医師と患者ははそんな関係でいいはずがない。でももう不毛なやりとりをすることが嫌だった。

医師はスキリージを私のお腹、おへそを挟んで両側に1本ずつ打った。

初めての生物なのでなにか具合が悪くなるようだったら連絡してくださいと言われ、私はお礼を言って診察室を出た。

生物を無事打ってもらえたが、なんだか気が晴れなかった。

仕事は半休を取っていたのでそのまま帰宅し、シャワーを浴びた後、なんだか疲れてしまったのでうたた寝をした。目が覚めて体を起こすと、なぜだかひどく身体が怠かった。加えて動悸も始まった。この動悸は丸々1日続いたが、1日で止まった。

スキリージの副作用の中にそれらの症状が当てはまってたので、4週間後の注射の際にはその事も伝えないととメモをした。

7月最後の週にまたスキリージを打ちに行く。今年の夏は半袖は無理なんだろうなぁと思うと、今の世の中の状況も相まって、気持ちだけが落ちて行った。

 

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