乾癬という病い

このブログは、難治性皮膚疾患である乾癬という病いとともに生きる、一人の人間の記録です。

乾癬患者としての視点

私が乾癬になって得たものがあるとするならば、それは多分、「患者」としての視点だろう。
乾癬に関していえば私は人生をずっと患者として生きてきた。

子供の頃から周りの人たちの「乾癬」に対する様々な反応を見て育ってきた。小さな頃は、子供同士の純粋ゆえの無邪気で正直な病気への言葉や態度。大人になってからは、見て見ぬ振りをする人や心配してくれる人、そしていちいち指摘してくる人や気持ち悪がる人、同情してくれる人や変に気を使う人。

ありとあらゆる反応を見てきた。
それはすなわち、病気や異質なものに対する人間の反応だ。

お陰で、人の気持ちの動きにはとても敏感な人間になってしまった。

子供の頃から思春期にかけて、乾癬であることで悩み、苦しみ、傷ついて泣くことが多かった。
そういう時、親はいつも「泣いても仕方ない。傷つけてくる人がいたらその人が悪いんだから、そういう時は言い返せばいい。乗り越えるしかないでしょう?もっと強くならないと」と私に言っていた。

でもあの頃の私には「乗り越える」という言葉の意味が分からなかった。「乗り越える」って、もうこの病気の事で泣いたり傷ついたりしないってこと?もうこれ以上乾癬で悩んだりしない事が「乗り越える」ってこと?

治る病気なら、治った時が「乗り越えた」って言える時なんだろうけど、治らない病気になった人は、どうなれば「乗り越えた」ってことになるの?
ずっと自問していた。悩み苦しむ私は、弱い人間だと言われているようでつらかった。
そのうちに私は、親にすら弱音を吐けなくなった。泣く時は自分の部屋で一人で泣いていた。

大学生になった時、世間では「ポジティブシンキング」なる言葉が流行り出した。「前向き」が素晴らしい事とされ、「後ろ向き」はクライ人、ネガティブな人とされた。そういう自己啓発的な本も世間ではたくさん出版されていた。

私はいつも考えていた。
「前」ってどっちだ?

私から見て「ポジティブに!」「前向きに!」と言っている人達の「前」は、とても「前」には思えなかった。それは単に苦しい事、辛いことを見ずに考えずにやり過ごしてるだけにしか見えなかった。
一時的にやり過ごせたとしても、そんな考え方じゃまた同じような事で傷ついて、苦しむ事になるんじゃないのか。
なら私から見ればそれは「前」ではなく「後ろ」だ。
私には世間の言う「前」の根拠がさっぱりわからなかった。

勿論、人によってはそのポジティブ思考が奏功することもあるだろう。でも私が抱える苦しみはそんな類のものではなかった。
世間で流行るポジティブシンキングは私の中を空虚に通り過ぎ、より孤独を深めた。

ずっと患者として生きてきた自分には、患者の気持ちがよくわかる。基本的に私の全ての考え方は、病を持つ患者としての視点から発している。

だから私は根本的に、病や異質なものに対しての偏見を持っていない。常に偏見を持たれる側だったからだ。
当然のように、どうしようもない不条理や理不尽で苦しむ他者に対して傷つけるような愚かな行為も絶対にしない。傷つけられる苦しみは十分に知っている。

だけどこのコロナ禍はどうだ。

私はSNSをやっているが、その中は人々の無知な悪意で溢れている。
コロナだって病だ。病気だ。風邪だってインフルだって人からうつされたりうつしたりして今まで普通に共存してきた。それで人を差別したり、人々の間を分断したり、経済を止めたりなんてしなかった。

なのに人々は恐怖によって集団ヒステリーを起こし、新型コロナだけを特別視し、感染の仕方によって善悪を分けている。会食して感染したら悪で、真面目に満員電車で通勤して感染したら可哀想、なんてことになっている。

じゃあ乾癬はどうだ?
暴飲暴食し喫煙していた人が乾癬になったら、それは自業自得なのか?自業自得なのだから保険を使って治療するに値しない人?
真面目に生きてきてストレスをためて乾癬になったらそれは気の毒で治療するに値する人?
じゃあ物心ついた時から乾癬だった私は、どういう人に分類される?

感染症とほかの病気は違う、ともし思ったとしたら、それも間違いだと思う。

何が原因で乾癬になったか、どこでウイルスを貰って新型コロナにかかったかなんて結局のところ特定なんてできないし、どう頑張ったところで人間は老いと共に病を得て、最終的に死に至る運命を避けることは出来ない。絶対にだ。

若い人だっていろんな事が原因で免疫力が弱まると病にだってかかる。誰だって自分の持つ免疫で対抗できたら治るし、対抗できないと死が待っている。

私がSNSで非常に残念に思うのは、私と同じ病の人でもコロナ禍において他人の病を無意識に差別している人がいる事だ。

「コロナが近くで出た!」
「友人がコロナにかかって意識不明に!」

なぜだ。なぜそんな人の病に関する事を平気でSNSで流す?病はとてもセンシティブで個人のプライバシーに関わることだ。いくら匿名でもSNSで簡単に垂れ流していい事じゃない。他人に注意を促す善意のつもりで書いているんだろうが、それが恐怖を煽り、差別につながるという事がなぜわからない?
だけどこういう人達に限って、自分が傷つけられたり差別される事にはとても敏感で、他人には自分の病への理解や優しさを求めたがる。

私は乾癬患者の視点からずっと考えている。
コロナ禍では人々にとって、科学的なデータやエビデンスなんかより、根拠なき恐怖の方が力を持つんだ。そしてほとんどの人が正義ぶった同調圧力で、人を差別することがよくわかった。

だったら乾癬はうつらない病だとどれだけ啓蒙したところで無駄だろう。人はエビデンスなんか実はどうでもいいんだから。「気持ち悪いから嫌なんだ!」と言われてしまえばそれで終わりだ。仕方ない。
「気持ち悪い」「怖い」という他人の感情を前に、乾癬患者はエビデンスでは太刀打ちできない。ああそうですよね、気持ち悪いですよね、嫌な思いをさせてしまい申し訳ありません、とコロナ患者のように病気になった側が謝るしかない。

だから「この治療法にはエビデンスがない」、「自然療法なんか無駄だ」「アヤシイ治療法には手を出すな」「標準治療をしろ」なんていくら言ったところでなんの説得力も持たない。だって科学は無視されるんだから。

これを読んでまたそんな極端な考えを、と思う人がいたなら、今の世の中を見てみればいい。その極端な狂った事態がまさにいま繰り広げられている。

それにコロナの死者数は日本においてインフルより少ない。インフルはワクチンも治療薬もあるのにだ。
インフルよりコロナの方が怖くて危険なウイルスだというエビデンスがあるなら教えてほしい。私は死者をより多く出すウイルスの方が圧倒的に怖いのだ。

今本当の弱者は、言われなき差別で苦しむコロナ患者と、感染拡大の槍玉にあげられて働かせてもらえない業界の人々、そして若者や、非正規•パートで働く人たちだ。家にいながらにして「出歩くな!」と他人の行動を規制しようとする人たちは本当の弱者ではない。

私はずっと病を持つ患者として生きてきた。
だからどんな時も、本当の弱者の側につくと決めている。

こんなふうに恐怖に怯え、他人を監視して、罰を与えるべき!と叫びながら人生の貴重な時間を過ごしていて本当にいいのだろうか?
そもそも「病気になるな」なんて無茶苦茶な要求だ。コロナを避けて家に閉じこもっても別の病気になってしまうだろう。

必ずやってくる死を避けようとするより、限られた時間をどう生きるか考える方が、大事なことじゃないのか。
それが本当の意味で、命を大切に使うって事なんじゃないだろうか。

あれっ、私の考え方ってすごく「前向き」じゃない?

 

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