乾癬という病い

このブログは、難治性皮膚疾患である乾癬という病いとともに生きる、一人の人間の記録です。

スキリージ3回目

10月に3回目のスキリージを打ちに病院へ行った。初めてのスキリージから3ヶ月が経ったが、まだ効果は見られない。肘、首回り、頭皮、肩、背中にある皮疹は少しづつ広がり鱗屑も厚みを増している。
それとは対照的に下半身、足はステラーラの時に皮疹がほぼ消えて以来、ずっと綺麗なままだ。

今年の夏は半袖が着れなかった。買っていたワンピースも着れなかった。
マスクも必要だったから、のぼせて頭がクラクラしたり片頭痛に悩まされたりで、うんざりした夏だった。

今まで生物学的製剤はステラーラ→トレムフィア→スキリージと、IL-23阻害薬を試してきたが、この系統だと私にはどうもある一定のところまでしか改善されない。PASIでいうと75位の達成率でスコアとしては悪くはないのだが、皮疹の消えない部分が人から見えてしまう部分なので、どうしてもストレスを感じてしまう。

その辺りを今回は医師に相談したかった。いくつかの理由でこの系統の生物を試していたが、もうこれ以上の改善には限界かなという気がしていた。

診察室に入り医師に体をみせると、
「んー、そうですね、皮疹消えてないですね。でもスキリージは効くのに時間がかかりますからね」と言われ

「そうなんですか?あー、確かにステラーラの時も効き始めるまでに14週はかかりました。」と答えた。

そうだった。初めて生物学的製剤のステラーラを打った時、効き始めるまでの14週間は本当に長く苦しい時間だった。それからPASI80ほどに改善された後、しばらくして次第に悪化していき(PASI70程度)、生物をトレムフィアに変えた。
そのトレムフィアでも効果を感じられるまでに13週はかかった。トレムフィアでは最高PASI85〜90ほどまでに改善された。この時は本当に乾癬患者であることを忘れて生活ができた。肌を気にすることなく過ごせたし、沖縄の海でだって泳げた。本当に幸せな時間だった。

「じゃあ効かないと判断するのはまだ早い…?」と聞くと、
「早いですね。これから効いてくる可能性は充分あります。まぁ効かないという可能性ももちろんありますが…」と医師は答えた。そして、

「でも大体みなさんPASI75〜85くらいですよ。きれいに完全に乾癬が消えたっていう患者さんはそんなにいないです」と言った。

私は医師のこの言葉をどう捉えていいのか分からなかった。
確かにスコア的には悪くないというのは分かる。QOLは生物学的製剤で格段に上がった。でも自分の中で皮疹が他人から見えてしまう部分に出ている事と(夏に半袖が着れない)、高い医療費を払っているのだから少しでも良くなりたいと思う自分がいるのだ。

私は欲張りになったな、と思う。
最もらしい理由を並べてみても、初めて生物学的製剤を打ち、乾癬がどんどん消えていった時には、PASI65くらいの達成率で「これでも十分だ。乾癬が全部消えて欲しいなんて願うのは贅沢だ。もう十分にありがたい」と思った事を確かに覚えている。
さらにその時の診察では、主治医とは別の医師が診察室に顔を出してくれて「僕らが目指すのは皮疹ゼロだ。あなただってその方がいいでしょう?」と言ってくれた。

私はその力強い言葉にとても驚いたが、いつの間にかその言葉が自分の中でどんどん大きくなり、そうなりたいと思う自分になっていた。

私は「3ヶ月後の次回、変化がなかったらこの生物を変えたい」と伝えると、医師は「じゃあ変化がなかったら次はIL17系統でいきましょう。コセンティクスでいいんですよね?スキリージもコセンも病院に準備はしてあるので、その時、状態を見て決めましょう」と。

「ただコセンティクスにすると次回来年の1月は病院に来てもらう回数が増えますが大丈夫ですか?自己注射の指導などがあるので」と聞かれて、そう言えば来年から仕事が忙しくなることに気がついた。

「あっ、そうだ、年明けから忙しくなるんだった、、職場の人員が減っちゃう予定で…」と私が言うと、
「じゃあ土曜日診察している病院を探してはどうですか?」と言われてしまった。
まあそれはそうなのだが、病院を変えて、いちから自分の体を診てもらうにはなかなか労力がいるし、今の病院は自分の住む沿線上にある上に、会社からもひと駅と立地がとても良いのだ。

何を優先し、何を妥協するのかはなかなか難しく、色々と思うことはあったが、それを考えている事を医師に悟られたくなくて、私はすぐに「あ、なんとか仕事調整するようにします」と慌てて答えた。

本当はただただ乾癬が良くなる事だけを考えていたい。
医師との関係や、どの薬を選ぶのが最善の策なのかを自分でずっと考え、調べ、判断しなければいけない事に正直少しだけ、しんどさを感じている。

人生の中で肌を気にせずに生活出来たのは、トレムフィアが効いていた去年のほんの数ヶ月のみだ。人生の中でそのたった数ヶ月間の喜びがどれ程のものだったのかなんてきっと誰とも共有できない。私が生まれて初めて経験したクリアな肌だ。

何が起きるか分からない人生の中で、私の確かな望みはクリアな肌で少しでも長く生活する事だ。
クリアな肌で、より人間的な生活をしたいと強く望んでいる。

「らしさ」って制限された中からではなかなか生まれない。自ら選び、行動する中で初めてその人らしい好みや個性が生まれてくる。
そんな事すら知らなかった。
幼い頃から色んな我慢をして、色んなことを諦めて生きてきた。でも今やっと生物学的製剤で、当たり前の「自由」を手にすることが出来た。

私は「自由」について考えた。深く考えた。
人間らしく生きるって、この自由なくしては有り得ないんだ。

乾癬は治らないといわれた時代を長く長く生きてきた。でも今は違う。生きているうちに寛解する治療法ができた事は本当に奇跡的な事だ。だから出来る時に出来ることをしないなんてもったいない。

人生は長いようで長くはない。もう1日だってクリアな肌で生きられる時間を無駄にしたくはない。

そう願うのは、たぶん、贅沢なんかじゃないんだ。

 

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