乾癬という病い

このブログは、難治性皮膚疾患である乾癬という病いとともに生きる、一人の人間の記録です。

2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧

ステラーラ

ステラーラは、IL-12(インターロイキン)およびIL-23の働きを弱めることで、皮膚細胞の異常な増殖と炎症を抑え、乾癬の症状を改善する製剤だ。 ステラーラには投与した約7割の人でPASIスコアが75%低下したというデータがある。 簡単にいうと、ステラーラを…

生物学的製剤の投与

初診から10日後、私は再度病院へ行き、診察室に呼ばれた。前回受けたいくつかの検査結果に問題はなかった。 ではステラーラを打ちましょうと医師は言い、私のお腹の左側にそれを注射した。 ほんの数秒で終わった。 私は、いつ頃から効果が出はじめるんでしょ…

タイミング

生物学的製剤の投与は乾癬を治す治療法ではない。症状を改善し、患者のQOLを保つ為の治療法だ。 だから治療をやめると、乾癬はまた出てきてしまう。つまり良い状態を保つには、ずっとこの治療を続けなければならないという事になる。 生物学的製剤は高額だ。…

初診

初診の日。 仕事は午前休を取り、病院へ向かった。 ちゃんと予約時間に名前を呼ばれ、私は診察室に入った。 若い男性の皮膚科医だった。 私は今までの治療歴や身体の症状、そして今の自分の想いをきちんと説明した。 その上で生物学的製剤を使いたいと申し出…

条件

初診までの三日間、私は生物学的製剤に関して、インターネットで更に詳しく調べ続けた。 私が気にしていたのは、この治療による危険性より、この治療を自分が受けられるかどうかだった。 生物学的製剤での治療を受けられる人には条件がある。 基本的には重症…

焦り

私は会社から乗り換えなしで行ける病院を選び、予約の電話を入れた。 その病院の皮膚科には乾癬治療で有名な医師がいたが、その医師にはやはり患者が多くいるようで、その医師で予約を取るなら数ヶ月後になると言われた。私は医師にはこだわっていなかった。…

道端アンジェリカさんの告白

ある日、モデルの道端アンジェリカさんが乾癬を患っているというニュースを目にした。 Instagramにポストされたその告白。 アンジェリカさんが乾癬を患っているという事実より私が驚いたのは、「今は定期的に注射して治療している」という事だった。 注射?…

本当の自分

昔はよく想像していた。 もし乾癬ではなかったら、本当の私はどんな性格で、どんな人生を送っていただろうかと。 ん?でもちょっと待って。何か変だ。 そもそも本当の自分ってなんだ。乾癬じゃない自分が、本当の自分なのか。もし私が乾癬でなかったら、それ…

内と外

皮膚の病は表面的に他人から分かりやすい為、患者は積極的に外に出る事が出来ず、引きこもりがちになる事が多い。 必然的に意識が内へ内へと向かっていく。 私も苦しい自分の気持ちに折り合いをつける為、様々な本を読み漁り、考えたりして、自分を納得させ…

QOL 生活の質

QOL(quality of life)という言葉が日本で一般的に知られるようになったのはいつ頃だっただろうか。 同時にインフォームドコンセントやターミナルケアという言葉も知られるようになったと記憶している。(違うかな?) それらの言葉は癌患者や高齢者、また…

諦めるということ

乾癬という病いを患って、身についたことがある。 それは「諦める」という事だ。そしてこの「諦める」は、決してネガティブな意味ではない。 私は乾癬によって諦めざるを得なかった事がいくつかある。 でもそれは仕方のない事だ。努力やお金でなんとかなるよ…

民間療法

乾癬を長年患う過程で、やはり私も様々な民間療法を試してきた。 漢方、食事療法、健康食品、ゲッケルマン療法、ステロイド断ち。 私の場合、どれも奏功しなかった。民間療法は費用がかさむし、食事療法は徹底的に行うと、かなりのストレスにさらされる。仕…

縛られ続けた概念

ずっと相対的な概念に縛られていた。その事が自分を苦しめていた。 幸も不幸も、比較する事によってうまれる概念だ。まあそんな事は当たり前の事であり、誰もがよく言っていることだ。 だが実際、他者との比較抜きに自分の立ち位置を捉える事は社会にいると…

心を踊らせるもの

私は趣味をたくさん持っていた。 幸運にも友達にも恵まれていた。父親は私が大学生の時に癌で亡くなってしまったが、両親には大切に育てられた。 読書、映画、音楽、写真、語学、旅行。 それらが私の心を癒し、ワクワクさせた。 友人には恵まれたが、乾癬に…

私は眠っている時、様々な夢を見る。 眠りが浅いのだろう。色鮮やかで時々音楽が流れたり、場面がスローになったり、まるで映画のように夢が展開していく。 しかし、その夢のほとんどが悪夢だ。 子どもの頃に負った心の傷が思ったより深いのかも知れない。 …

弱さ

乾癬によって自分は心まで醜くなってしまったと思っていた。 乾癬という病いは体だけではなく心まで蝕むのだと。 20代、友人達は仕事を頑張ったり結婚したり子供を持ったりと、人生の中でも大きな出来事を次々と実現していく。 それに比べ、私は自分の体と心…

孤独

病気とのたたかいは孤独だ。それはどの病気にも言えるだろう。向き合うのは常に自分自身。 この頃、ネットなどもまだ一般的ではなく、医者からの情報しか乾癬に関して詳しく知る術はなかった。 子どもの頃、医者はよく私に「いつか治る病気になるから」と言…

海外

大学の夏休みを利用して、私は1ヶ月間カナダのバンクーバーでホームステイをした。 私にとって初めての海外だった。 気候はカラッとしていて快適だった。 日本では昼夜逆転の不規則な大学生活を送っていたから、カナダでの健康的な生活は、体調や気分に良い…

変化

すでに中学、高校の時には、生きていくことはとてもつらい事だと思うようになっていた。周りの健康な友達を見るにつけ、人生はなんと不条理で理不尽なのだろうと絶望していた。 学生にとって学校は世界の全てであり、逃げる場所などなかった。誰かに助けを求…

偏頭痛

小学四年生のときから、私はもう1つの病気に悩まされるようになった。閃輝暗点を伴う偏頭痛だ。 それは月に1回の頻度で起こり、30分ほどの閃輝暗点(視界がチカチカし、一部分が見えなくなる)が終わった後に、必ずのたうち回るほどの頭痛と吐き気に襲われ…

こども時代

乾癬の症状がそれほど酷くなかった小学校低学年時代、私の性格はとても快活でスポーツが得意な子どもだった。 でも夜、寝付くのが苦手だったりストレスや不安が続くと、今でいう過呼吸の症状や蕁麻疹が時々出ていた。 この頃一番困ったのは頭皮に出る乾癬だ…

診断

私が乾癬を発症したのは5歳の頃で今から数十年前になる。 その頃、乾癬という皮膚病は全くと言っていいほど知られておらず、実際に日本では患者が少なかった。 当時私の症状は、町医者でただの湿疹として扱われた。 その後、小学校入学を前に家族は父の転勤…

乾癬の発症

右耳の後ろの付け根部分が、かさぶたのようにガサガサしていることに気がついた。 私が5歳の時だ。 その白いガサガサしたものをそっと剥がすと、そこから少し出血し赤い皮膚が剥き出しになった。 当時、保育園で黄色い帽子を被る時に顎にかけるゴムが耳の後…

はじめに

このブログは、難治性皮膚疾患である尋常性乾癬という病いとともに生きる、一人の人間の記録です。 乾癬患者にとって治療の参考になるようなものではありませんが、どのような気持ちでこの病いと共に生きてきたかを綴っています。現在、生物学的製剤にて治療…