乾癬という病い

このブログは、難治性皮膚疾患である乾癬という病いとともに生きる、一人の人間の記録です。

痛みのない体

私は子供の頃から筋金入りの頭痛持ちだ。

そしてここ数ヶ月、あまりに頻繁に起こる偏頭痛に悩まされていた。先月には毎日偏頭痛が起こるようになり、おまけに薬も効かなくなって仕事に影響がでてきたので、頭痛外来に通う事にした。

偏頭痛の予防薬がある事はずいぶん前から知っていたが、効くかどうかわからない薬を毎日服薬しなければならないのが嫌でずっと避けていた。

でももうそんな事を言っている場合ではなくなり、今は3種類の薬を毎日朝晩服用している。

今は通常の偏頭痛と緊張型頭痛の混合型に悩まされているが、子供の頃は約6年間、閃輝暗点を伴う偏頭痛に苦しんでいた。

この閃輝暗点を伴う頭痛は本当に耐え難い痛みだった。視界にチカチカする点が現れ、それがギザギザした線になって広がり視界を塞ぐ。小中学生の時、閃輝暗点が始まると教科書が見えなくなり、保健室に駆け込んでは猛烈な頭痛と吐き気で呻きながら、ベッドで症状が治まるのを待った。痛みに耐えるだけで体力を奪われ、自力では帰れなくなり、親に学校まで車で迎えにきてもらっていた。

後に知った話だが芥川龍之介もこのタイプの偏頭痛持ちだったらしい。閃輝暗点の様子は彼の小説「歯車」の中で描かれている。芥川は閃輝暗点を「視界を遮る半透明の歯車」と表現し、その描写とともに作品の中の主人公の精神は追い込まれ、次第に崩壊していく。そしてこの作品を書き上げた年に芥川は自殺している。

この激しい頭痛が芥川が未来を悲観した要因の一つとも言われていて、私はそれを知った時とても共感したのを覚えている。

偏頭痛は通常の頭痛とは痛みの発生の仕方が異なるため、痛み止めは全く効かない。

現在は偏頭痛用にトリプタン製剤という脳の血管を収縮させ痛みを抑える薬があるので助かっているが、私が子供の頃はそのような薬はなかった。

どの病院の先生も私がこんなに苦しんでいるのに助けてくれない。原因もわからないと口を揃えて言う。わからないということが不安を増幅させ、痛みをより激しくさせる。子供の頃から私は大人が言う「わからない」という言葉が大嫌いだった。

うんざりしていた。医者のくせに、大人のくせに、わからないって言わないで!と心の中で叫んでいた。

乾癬も偏頭痛も子供の私にはとうてい耐えられるような病ではなかった。私は将来を悲観していた。日々体に広がっていく乾癬の皮疹、そしていつ襲ってくるかわからないチカチカする光と激しい頭痛に怯えながら、こんな体で大人になるまで生きていけるわけがないと思っていた。

今も頭痛に苦しむ時、子供の頃の事を思い出す。

トリプタン製剤を使えるようになってから頭痛はあまり怖いものではなくなったが、偏頭痛は日常生活において、かなり私の楽しみを奪っていった。

偏頭痛は大きな音や強い光、寝不足や寝すぎによっても引き起こされる。気圧の変化にも反応するし、お酒を飲んでも起きる。

私は好きなミュージシャンのライブに行ったり映画館で映画を観るのが趣味だったりするが、観ている最中、その音やライティングの強さによって必ずと言っていいほど頭痛が起こる。

仲間と楽しくお酒を飲んでも頭が痛くなる。

仕事が忙しくて寝不足になっても、休日ホッとして寝すぎた時にも頭は痛くなる。

この前の沖縄旅行でも強い日差しが刺激となり毎日頭痛が起こり薬を飲んでいた。

でも頭痛外来に行き、予防薬を飲むようになって、いま10日間くらい頭痛がない日が続いている。

こんなに効果があるとは思わなかった。

痛みのない体って素晴らしい。痛みを我慢するのはもうこりごりだ。

毎日薬を飲むことになっても、痛みのない体で過ごせるならそれが一番いいと今は思っている。

 

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