乾癬という病い

このブログは、難治性皮膚疾患である乾癬という病いとともに生きる、一人の人間の記録です。

いま政府に対して思うこと

私が日々乗っている電車は普段は東京でも1、2位を争う混雑率で、更にその路線の中でも最も混む区間を使っている。時には体を圧迫されて呼吸すらできないほど。コロナ禍でそんな路線を使って通勤している私のいまの個人的な感想を。

2月いっぱいまでは相変わらずの満員電車で私はコロナの恐怖に怯えながら自分が感染するのは時間の問題だと思っていた。乾癬の治療で生物を打っていたし感染したら最悪死んでしまうかもしれないと思うと、仕事でキーボードを打つ手が時々恐怖で震えた。泣きそうになるのを何度も堪えた。

だけど生きる為に仕事に行かないという選択肢はない。毎日自分ができうる限りの予防をし神経をすり減らしながら生活した。

3月に入り、ふと何でこんな生活の中で自分はまだ感染していないんだろうと不思議に思い始めた。会社でも同じ路線を使っている人が複数人いるが誰も体調を崩していない。もしかしたら既に感染していて無症状なだけなのかもしれないが、その時期から徐々に自分が冷静に考えられる時間が増えていった。

未知のウイルスだからわからない事だらけだ。だから色んな判断の基準はこの数ヶ月で分かってきた事実や客観的な数字しかない。自粛の解除も数字で基準を決めなければいつまでも自粛は終わらない。

恐怖という感情は人間から簡単に理性を失わせ、冷静さを奪う。平気で人を差別し非難し時には他人の行動すら制限させようとする。そして客観的な数字すらもはや関係ないと言い出してしまう。感情が優先してしまうのだ。でもそれはその人が悪いのではなくて恐怖という感情がそうさせてしまうんだろう。

もし恐怖に完全にのまれてしまうと私はあんな電車に乗って通勤などできない。必死で冷静になるように努め、データや数字を自分なりに分析し言い聞かせ、そして気持ちを奮い立たせて毎日電車に乗って働きに行く。1400万人都市である東京では密にならない事などほとんど不可能なのだ。

緊急事態宣言解除は本来なら喜ばしい事で、解除される未来をみんな望んでいたはずだ。

なにもゼロか100かの話をしているわけではなく、みんな感染しないように工夫しながら徐々に経済活動をし始めているし、ワクチンができるまではそうしていくしかないのだ。

このコロナ禍で最も大事なのは医療崩壊を防ぐ事。でないと本来助かる命も助からない。自分が病気になっても適切な医療が受けられなくなってしまう。今、感染者が減少していく中で、政府や自治体は医療資源を増やし第二波、三波への準備を着々としてくれているはずだと信じている。

「命か経済か」なんて比較は意味がない。

どちらも間違いなく命だ。特別な理由がない限り、働かなければ生きていく事は出来ない。

そのバランスを暗闇の中で探りながら市井の人々は支援のない中、懸命に生きている。少なくとも私の周りで気を緩めている人なんていない。

だから本来なら私は政府に「気が緩んでいる」などと絶対に言って欲しくはないのだ。政府には国民が真面目に頑張って自粛をした結果とその補償、基準になる数字、今後の目標、そしてウイルスと共存する術を出来得る範囲で示し「共に頑張っていこう」と言って欲しいのだ。

勿論東京はまだ緊急事態宣言中である。

緊張の中、日々生活している。

短期間で価値観がひっくり返る悪夢のような事態の中、みんなが助け合い、工夫をし、励まし合って生きている現状に実は私は密かに感動している。

人間ってすごいな、と。

この世の中、捨てたもんじゃないな、と。

 

【追記】

日本が特別に死者数が少ない理由は謎だが今後解明されていくのだろう。そしてその理由を私も知りたい。ここは乾癬ブログなので次回からはちゃんと乾癬の事を書きます。