乾癬という病い

このブログは、難治性皮膚疾患である乾癬という病いとともに生きる、一人の人間の記録です。

遠のいた日常

最後に生物学的製剤を打ったのは今年1月中旬。次の生物を予定していた3月は予約日に病院へは行ったが医師との話し合いの結果、コロナ禍での危険性を考えて生物学的製剤を打つのを一ヶ月延期することにした。

4月7日、史上初めて特別措置法に基づく緊急事態宣言が発令された。

とても病院へ行けるような状況ではなく病院へ電話し、医師の了解を得て4月の予約を延期した。乾癬はじわじわと悪化していたが我慢するしかなかった。とにかく4月は日本中がコロナで緊張状態だったし、乾癬が悪化することよりも日々を乗り切るのに必死だった。

5月、GWは終わったが緊急事態宣言は延長された。乾癬は上半身のみ悪化していた。なぜか足の乾癬は出ないままだった。生物を打ち始めたときは足の乾癬が最後までいちばんしつこく残っていたのに、今出てこないのは不思議だなと思った。

とても迷ったが緊急事態宣言中は生物はやめようと思い、病院へ電話し5月の予約もまた一ヶ月延期にしてもらった。

6月、緊急事態宣言が解除され徐々に電車も混み合うようになり街にも人出が少しずつ戻ってきた。

私はやっと生物が打てる!と満を持して病院へ向かった。夏に向けて早く乾癬を消したいという思いでいっぱいだった。

病院の入り口では防護服を着た職員が3人ほどいて、額と首筋での検温、いくつかの質問が書かれたボードを見せられてそれに答えると、特に問題なく病院へ入れた。

生物を打つ日は診察前に採血などのいくつかの検査を済ませなければいけないのだが、この日はその項目の中にレントゲンが入っていなかった。コロナの件もあり、肺も見て欲しかったのでレントゲンを追加してもらった。

皮膚科の待合には多くの人がいた。中には咳をしている人もいてやはり病院は少し怖いなと感じた。

順番が来て診察室に入ると医師は「レントゲン追加したんですね。ってことは今日は生物打つつもりでいらっしゃったんですね」と言ってきた。

ん?と思ったが、「はい、もう大丈夫かなと思って。夏ももうすぐですし腕なんて乾癬広がっちゃって半袖着れない状態ですし」と身体を見せた。

医師は「3月、生物を打つ事をすごく不安がっていらしゃいましたが今はどうですか?」と聞いてきたので私は「あの時はまだ何もコロナについてわかってなかったので怖かったですが、今はそこまでではないです。データ上でも日本では緊急事態宣言を延長するほどではなかったんじゃないかと思ってるくらいです」と答えた。

医師は黙っていた。その表情も硬かった。それはマスクの上からでも読み取れた。

医師は「それぞれの状況に合わせた治療計画を立てようと思ってるんです」と話し始めた。

「私は今、あなたは生物を打たないほうがいいと思います。まだあなたは不安そうに見えるから」と。

「えっ、私不安そうに見えますか?むしろ冷静に分析してるつもりなんですが…。」

「不安そうに見えます。」

あれっ、なんだろうこの展開は?と思った。

まさか生物打ってくれないのかなと心配になった。

「私、3月まで毎日超満員電車に乗ってても自分や周りがコロナにかかってない事で思ったんです。多分電車の中では誰も喋らないからうつらない。もし満員電車でうつるようなら東京の感染者数はこんな数ですむはずがない。だから電車ではクラスターは起きないって。飛沫を飛ばさない、受けない、手洗いとうがいっていう基本的な対策をきちんとしてれば大丈夫なんだろうなって」

「それはそうですね。きちんと対策とってれば大丈夫だと思います。」と医師は言ったが、私が不安そうに見えるという点は譲らなかった。

なんで?なんでだろう?私の何が不安そうに見えるのだろう?それとも何か私が失言してしまったのかな? 不安そうに見えるとかそんなふわっとした表面的な理由で生物を打ってくれないのか? と私は混乱した。

そして医師は言った。

「今あなたが生物を打って、そのあとコロナにかかったらきっとあなたは後悔すると思う。」

それって3月にも医師が私に言った言葉だ。その時はそうかも知れないと思ったが今は違う。その言葉が今は引っかかる。

「それって不安そうに見えるっていう私個人の問題ですか?コロナにかかる可能性は今後もなくならないですよね?だったらもう生物はコロナのワクチンができるまで打てないってことですか?私は打って欲しいんですが」とお願いした。

医師は繰り返した。

「そうですね、あなたの個人的な事です。きっとあなたは後悔すると思う。私もあなたに生物を打ってその後あなたがコロナにかかってしまったら申し訳ないし。」

なぜコロナにかかる事を前提にして、申し訳ないとか後悔とかの感情論を医師と話しているんだろうと思った。生物を打ってコロナにかかったとしても必ず重症化するわけじゃないだろう。医師は責任問題になるのを恐れているのだろうか。

私は「むしろ医療崩壊さえしなければ、生物を打ってコロナにかかって重症化したとしても適切な治療が病院で受けられると思ってるんですが…」と伝えた。

医師は黙っていた。

私は焦ってしまい「この夏はマスクもしなきゃいけない。生物打ってもらえず、長袖着てマスクもつけて、どうやってこの夏を乗り切ればいいんですか?」と言ってしまった。

すると医師は別の治療を提案してきた。

「光線治療はどうですか?かなり抑えられますよ」と言った直後に「あ、それじゃ病院に通わなきゃいけないから感染リスク高まるな」と自分で言った事を否定した。

私も断った。昔から光線治療は何度もしてきたが私の肌は紫外線に弱くて全くうまくいかなかったからだ。

更に医師は「じゃオテズラはどうですか?」と提案してきた。

私は「オテズラも免疫を抑制するんですよね?しかも下痢とか吐き気とか副作用が強いと聞いてます」と答えると医師は、

「確かにそうですが生物ほど強い薬ではないし感染症の報告もほとんどないです。副作用も下痢とかにはなりますが一ヶ月位です。一ヶ月乗り切ればラクになります」と言った。

私はこの提案も断った。このコロナ禍で仕事をしながら一ヶ月も副作用に苦しみ、しかもその不調が副作用なのか別の病気なのか、はたまたコロナなのかわからないまま過ごすのは無理があると思った。

私は逆に質問してみた。

「テレビで見たんですがコロナの治療法でリウマチの患者さんに使う生物、IL6に作用する薬が効いたというのを見ました。その生物を打つと逆にコロナにかかりにくいんでしょうか」

医師は「そうですね、その薬はIL6やTNFαに作用するのでコロナになりにくいとは言えますが、あなたが使う生物はIL6は関係がない。だからコロナで肺炎になると重症化の可能性があります。それに、まだコロナは収束してないし、乾癬だけだったら、乾癬という病気だけだったら、死ぬということはないんですよ。」

重症化だとか死ぬだとか、むしろ私は医師の発する言葉で不安になってきた。それにそんなこと言い出したらキリがないのではないか。生物が怖くて打たなかったとしても乾癬患者が他の病気にならないなんてことはない。もはやコロナを恐れて不安になっているのが私なのか医師なのか訳が分からなくなってきた。

医師も苛立ち始めた。私の診察時間が長くなった上に結論が出ないからだ。私もさすがに後に続く患者さんの事が気になっていた。

医師に「とりあえず一旦待合に戻って考えてください。待っている患者さんもいるので」と診察室を出された。

私は待合の長椅子に座り、どうしようどうしようと動揺していた。とっさに手元にあるスマホで「生物学的製剤 コロナ 死ぬ」などと検索をかけたりしていた。無理だ、何にもわからない、なんで、なんで生物打ってもらえないんだろう。私の何がいけなかったんだろう。

どのくらい時間がたったか覚えていないが再度私の番号が呼ばれた。

診察室に入ると医師は「どうですか?決まりましたか?」と聞いてきた。

「いえ、こんな事、いち患者で素人の私が決められません。ただ私は生物を打ってもらいたいです。夢にまで見たクリアな肌を諦めたくないんです。」

医師は明らかに困っていたし、苛立っていた。その医師の顔を見て、私はとっさに「分かりました。じゃあ今日は打ちません。」と言ってしまった。すれ違う意見のやりとりでもうこれ以上自分の診察に時間を取らせるわけにはいかないと思った。

医師は一ヶ月先の予約を取ってくれたが、私は一ヶ月予約を延ばしたところで一体何が変わるんだろうと思った。

診察室を出て支払機に行くと、診察代と意味の無かった検査代で7000円近い金額が表示されていた。ガックリしながら支払いを済ませた。

どうしよう、またあの醜い皮膚に戻ってしまう。しかも季節は夏になる。去年の夏は沖縄の海で泳いだのに。今年のお正月は次どこに旅行へ行こうかとワクワクしながら考えていたのに。なのにたった半年で全てが変わってしまった。このままじゃ経済も悪化して私も来年には首を切られてしまうかも知れない。生物が打てなくなってしまうかも知れない。生まれて初めて経験したクリアな肌がこんな短い期間で終わってしまうのか。生きている間に少しでも長く、一日でも長くクリアな肌で過ごしたかったのに。

なにが悪かったんだろう、なんで打ってもらえなかったんだろう、でも今すごく動揺してるから落ち着かなきゃ。冷静になったら私の悪かった部分がわかるかも知れない。冷静になろう。そうだ、昼ごはん食べてなかった、お腹がすいてると人間イライラするっていうしな、お気に入りのパスタの店に久しぶりに行こう。もう外食してもいいよね。何ヶ月ぶりの外食だろう。美味しいランチ食べて落ち着こう、うんそうしよう、そうしよう。

私はそう自分に言い聞かせながら病院から駅に向かう途中にある、お気に入りの店へ向かった。でも店の前に着くとびっくりした。たくさんの人が楽しそうにお喋りしながら食事をしていた。6月になって初めて出社したような社会人や学生達でいっぱいだった。

密になっている。コロナなんてなかったみたいに日常に戻っている。

怖い。足がすくんだ。

私は泣きたくなった。なんで、なんで私だけ日常に戻れないんだろう。そう思った時にはもう泣いていた。お腹なんか全然すいてなかった。

それから家までどうやってなにを考えて戻ったのか、今も全然思い出せない。

 

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いま政府に対して思うこと

私が日々乗っている電車は普段は東京でも1、2位を争う混雑率で、更にその路線の中でも最も混む区間を使っている。時には体を圧迫されて呼吸すらできないほど。コロナ禍でそんな路線を使って通勤している私のいまの個人的な感想を。

2月いっぱいまでは相変わらずの満員電車で私はコロナの恐怖に怯えながら自分が感染するのは時間の問題だと思っていた。乾癬の治療で生物を打っていたし感染したら最悪死んでしまうかもしれないと思うと、仕事でキーボードを打つ手が時々恐怖で震えた。泣きそうになるのを何度も堪えた。

だけど生きる為に仕事に行かないという選択肢はない。毎日自分ができうる限りの予防をし神経をすり減らしながら生活した。

3月に入り、ふと何でこんな生活の中で自分はまだ感染していないんだろうと不思議に思い始めた。会社でも同じ路線を使っている人が複数人いるが誰も体調を崩していない。もしかしたら既に感染していて無症状なだけなのかもしれないが、その時期から徐々に自分が冷静に考えられる時間が増えていった。

未知のウイルスだからわからない事だらけだ。だから色んな判断の基準はこの数ヶ月で分かってきた事実や客観的な数字しかない。自粛の解除も数字で基準を決めなければいつまでも自粛は終わらない。

恐怖という感情は人間から簡単に理性を失わせ、冷静さを奪う。平気で人を差別し非難し時には他人の行動すら制限させようとする。そして客観的な数字すらもはや関係ないと言い出してしまう。感情が優先してしまうのだ。でもそれはその人が悪いのではなくて恐怖という感情がそうさせてしまうんだろう。

もし恐怖に完全にのまれてしまうと私はあんな電車に乗って通勤などできない。必死で冷静になるように努め、データや数字を自分なりに分析し言い聞かせ、そして気持ちを奮い立たせて毎日電車に乗って働きに行く。1400万人都市である東京では密にならない事などほとんど不可能なのだ。

緊急事態宣言解除は本来なら喜ばしい事で、解除される未来をみんな望んでいたはずだ。

なにもゼロか100かの話をしているわけではなく、みんな感染しないように工夫しながら徐々に経済活動をし始めているし、ワクチンができるまではそうしていくしかないのだ。

このコロナ禍で最も大事なのは医療崩壊を防ぐ事。でないと本来助かる命も助からない。自分が病気になっても適切な医療が受けられなくなってしまう。今、感染者が減少していく中で、政府や自治体は医療資源を増やし第二波、三波への準備を着々としてくれているはずだと信じている。

「命か経済か」なんて比較は意味がない。

どちらも間違いなく命だ。特別な理由がない限り、働かなければ生きていく事は出来ない。

そのバランスを暗闇の中で探りながら市井の人々は支援のない中、懸命に生きている。少なくとも私の周りで気を緩めている人なんていない。

だから本来なら私は政府に「気が緩んでいる」などと絶対に言って欲しくはないのだ。政府には国民が真面目に頑張って自粛をした結果とその補償、基準になる数字、今後の目標、そしてウイルスと共存する術を出来得る範囲で示し「共に頑張っていこう」と言って欲しいのだ。

勿論東京はまだ緊急事態宣言中である。

緊張の中、日々生活している。

短期間で価値観がひっくり返る悪夢のような事態の中、みんなが助け合い、工夫をし、励まし合って生きている現状に実は私は密かに感動している。

人間ってすごいな、と。

この世の中、捨てたもんじゃないな、と。

 

【追記】

日本が特別に死者数が少ない理由は謎だが今後解明されていくのだろう。そしてその理由を私も知りたい。ここは乾癬ブログなので次回からはちゃんと乾癬の事を書きます。

コロナ禍でいま思う事

なんでこんな事になってしまったんだろう、と満員電車で通勤しながら思う。

今や新型コロナウイルスによる欧米の状況は目を覆いたくなるほどの悲惨さだ。人材も物資も不足して医療崩壊が起こり、トリアージ、つまり命の選別が行われている国もある。

最前線の医師達は自らも感染してしまうかもしれない恐怖と過酷な労働環境の中で最も苦しい命の選別という決断を迫られている。

想像しただけで目眩がするような苦しさに襲われる。もし自分ならまともに精神を保ってはいられないだろう。

今後も急速に感染拡大が続けばその状況はとりもなおさず日本の状況になる。

このコロナ禍で思う事は色々ある。

コロナも当然怖いのだが、本当に怖いのはその中でどんどん本音や本性を現す人間の姿だ。

普段でもネットやSNSなどは醜く恐ろしい人々の本音が溢れている。しかしコロナ禍ではネットの中だけだった本音も現実の世界に顕在化し始める。物理的にも人との距離を取らなければならない事態が余計に人々の心をすさませる。

コロナ禍を生き延びたとしても、そんなすさんだ世界で生きる事は出来るのか想像してみる。自分には無理だな、と思う。

生きていく中で不公平だったり不条理だったり、そんな事ばかりなのはもうわかっている。惨めな思いをする事だっていくらでもある。

そんな中で少し病みながらも、薄氷を踏む思いでなんとか日々を生きてきた。それは今も続いている。コロナがあってもなくてもだ。平穏で約束された未来などどこにもない。それでも考える。

奪い合うより分け合う事。

弱者の立場に寄り添う事。

弱者だからわかる事。

足ることを知る事。

 

毎日自分に問いながらこの日々を過ごしている。

生物学的製剤の延期

病院の予約日。私は仕事を急いで片付け、時間休を取って午後から病院へ向かった。予約の時間より15分も早く順番が表示されて、慌てて診察室に入った。

医師は「どうですか?乾癬の状態は」とまず聞いてきた。私は、悪化している状況を細かく説明した。

肘はもう生物を打つ前の状態みたいに皮疹で覆われてガサガサだし、肩、首まわり、頭皮、お腹などにもたくさん出てきた。大きな皮疹ではないが小さい皮疹が体に多発している感じだ。半袖の服は今の状態ではとても着れない。

「あの、コロナの件なんですが」と私は切り出した。

医師は答えた。「あぁはい、コロナですね。これは従来のインフルエンザと同じようなものと捉えて下さい」

テレビでよく聞く言葉だ。インフルと同じといってもこの病院の医師や関係者にコロナ感染者が出れば一定期間外来を閉める事になるだろうに、本当に同じと捉えていいのだろうか。

「生物学的製剤を使っている人はコロナにかかると重症化する可能性があるんですよね?」と聞くと、医師は「そうですね、それはインフルエンザでも同じです。免疫を抑制してるわけですから感染症にかかると重症化の可能性はあります。でもコロナに罹ったからといって皆が死んでしまう、というようなそんな病気ではないです」と答えた。

私はもやもやしながらも更に質問した。

「今回のコロナは感染しても症状が出ない人がいると聞きます。もし私が感染していたとして何も症状がないまま生物学的製剤を打ってしまったらどうなりますか」

医師は「その場合、生物を打ったことをきっかけにコロナの症状が出て悪化する可能性は考えられます」と答えた。

こういう質問を幾つかやり取りしたのだが、医師の答えの中に、安心できるような材料を私は見つけることができなかった。

これは困ったな…と思って私が一瞬黙り、視線を床に落とした瞬間、医師がはっきりと言った。

「やめましょう。今回の生物は延期しましょう」

私が「えっ」と驚いて視線を上げると「今回はトレムフィアをやめて別の生物に変えるタイミングでした。もし別の生物を既に打っていて立ち上がりをみている段階だったら私も延期は提案しなかった。ただあなたの場合はちょうど生物の切り替えのタイミングだったという事と関節に症状が出ていないこと、あと何より今、生物を打ってコロナで何かあったら、あなたはきっと後悔するでしょう?あの時打たなければ良かった、と」

私は言葉がすぐには出てこず黙っていると、

「だからやめましょう」と医師はまたはっきりと言った。

私は少しホッとしていた。自分が迷って決めるのではなく医師がはっきり決めてくれたことに。

「ただし、乾癬は悪化すると思います。取り敢えず、一ヶ月生物を延期して、その頃には世の中が落ち着いているかもしれない。もし落ち着いていなかったらまたその時考えましょう」と医師は言った。

少し考えて、確かにそれが今の私にとっては最善の策だと思えたし、納得ができた。

経済的にはなんとか生物を打てる環境に今ありながらも、コロナによって打てなくなってしまったこの予想外の状況に、かなり複雑な気持ちを抱えながらも、しばらくはステロイド軟膏での治療になった。

どうか一日も早く世界の混乱がおさまりますように。

一日も早くみんなが今までの日常を取り戻せますように。

 

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諦め

新型コロナウイルスによって世界の状況は刻一刻と変わっていく。相談のために病院の予約を取ったがその間にも疑問や不安がつのっていく出来事が度々起きた。

当たり前だが会社にはいろんな人がいる。ずっとマスクをしている私を笑う人もいたし、全くニュースを見ず興味がないという人もいた。

おまけに私の隣の席の男性はマスクが苦手で絶対につけたくないという。インフルエンザの予防接種を受けたこともないしインフルエンザに罹ったこともないから自分は大丈夫だと豪語する。

私は出来ればマスクをしてくれないかとお願いしたが「ご冗談でしょ」と一蹴された。

会社は2月最後の週になっても何も策を講じなかった。私はたまらず朝のミーティングで声を上げた。

せめて希望者だけにでも時差出勤させてほしい。体調不良で休んだ人に発熱などの報告の義務づけ、社内や家族に感染者が出た場合の出勤に関するガイドラインをざっくりとでもいいから早く決めてほしい、じゃないと事が起きてからでは混乱するだけだし手遅れになる事もあると訴えた。

それも笑って流された。「電車なんていつだって混んでるし、みんなこの時期は残業してるから時差出勤なんて意味がないよ。それに感染者が社内にでても対応なんて保健所に聞かなきゃわからない。我々は専門家じゃないんだから。感染者がでたら保健所の指示に従って対応します」と。

未知のウィルスなんだから、専門家だってわからないに決まってるでしょ!と喉まで出かかったが、私はぐっとそれを飲み込んだ。

後手を踏む政府の、さらにその後手を踏もうとしている会社にもう何も言う気になれなかった。

仕方なく私は会議後に部長を呼び出して、実は免疫を抑制する薬を使っているので時差出勤を特別に許してもらえないかと相談した。当たり前だがそんなことを言いたくはなかったし、知られたくなかった。

部長は、そうなの?じゃぁ本部長に相談してみる、と答えた。まるで伝言ゲームだなと思った。そうこうしているうちに時間だけが過ぎていくんだろうなと思った。

しかしその日の夜、政府は急に経団連へテレワークや時差出勤の取り組み要請を出した。その動きを受けて、翌日会社の幹部は急遽会議を開き、社員の時差出勤を決めた。希望者だけではなく全員強制だった。

昨日までは時差出勤を笑っていたのに。国からの要請を受けた途端にこれだ。こんなのはいかにも自分達はちゃんと対策をとってますよといわんばかりの単なるポーズじゃないか。

私は免疫抑制剤の話などしなければ良かった、とひどく後悔した。

もう諦めかけていた。

もはや自分が新型コロナにかかってももうどうでもいい。ただ私が感染し、他人にうつしてしまう事が怖くて仕方なかった。

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新型コロナウイルスと生物学的製剤

もし生物学的製剤を諦めなくてはならない時がくるとしたらそれは経済的な理由しかないと思っていた。

だがやはり人生は予定外の事ばかり起こる。今回は新型コロナウイルスだ。

お正月気分も抜けた1月中頃、ネットニュースでこの話題を初めて目にした。記事を読んだ瞬間、これはまずい事態になりそうだと直感した。その数日前に9回目のトレムフィアを打ったばかりだったからかもしれない。

生物学的製剤を打っている自分は危ないなとまず思った。そもそもインフルなどの感染症にも気をつけなければいけないのに更に未知のウイルスともなればそれは脅威だ。

日本政府が春節前に武漢からの渡航制限をかけなかった時点で2月初旬には日本でヒトヒト感染が発覚し、3月、4月で感染者はピークに達するだろうと予想していた。なので1月下旬には会社の総務部へ、うがい手洗いマスクの励行及び注意喚起の一斉メールをしてほしいとお願いしたが、笑って流された。

ほんの2ヶ月前のお正月、私はのんびりと兄夫婦の家でお節を食べながら考えていた。次の旅行先はどこにしようかなぁ?また海のあるとこがいいな。でもやっぱ冬だから温泉がいいかな?行きたい国もあるけど、歳取るとやっぱり国内がいいよなぁ、と。

なんと幸せな時間だったのだろうと3月の今、思う。中国から始まった新型コロナウイルスは今や世界中に伝播した。あっという間だった。

今回の新型コロナは季節性インフルエンザと同じ扱いでいいという意見も多く聞くし、もちろん来年にはその扱いになっていてほしいと望んでいる。もし感染したとしても軽い症状や無症状で終わる人が多いようだし、きっとそうなんだろう。

問題は潜伏期間が長いという事と、その間にも無症状の感染者が最大6〜7人までに感染させてしまう可能性があるということだ。

従来のインフルエンザの場合、発症したら高熱、悪寒、関節の痛みなど基本的に患者本人に強い症状が出る。だから病院に行くし、検査して陽性ならば会社も5日間は休まなければいけない。でもその後は通常の生活に戻れる。

しかし新型コロナの場合はそうはいかない。元気な感染者がウイルスを撒きながらそこら辺を歩き回っていると想像すれば分かりやすいのかもしれない。重症化しやすい人、高齢者にとってはそれは恐怖だ。ワクチンも特効薬もまだないのだ。

この新型コロナウイルスは未知のものだ。自然の脅威や未知のものに対して人間は畏れを持って対峙しなければいけないと思う。パニックなるのも良くないが、「大したことはない。風邪や従来のインフルエンザと同じだ」とタカをくくるもダメだと思う。

そもそも人間が自然や未知のものに対して畏れを抱くのは普通の感覚ではないか、と改めて思う。今まで海外を旅しながら圧倒的な大自然に接する機会が何度もあった。壮大な山々、降ってくるような満点の星空、そして想像するその先の宇宙、スキューバダイビングで触れた海の世界。

自分の想像をはるかに超える圧倒的で未知なものに触れた時、私は感動すると同時に同じだけの畏怖の念を抱いた。

それはマクロでもミクロでも同じだ。

以前ブログでも書いた、自分の感情を内へ内へ向けても外に外に向けても結局同じところに辿り着くという感覚と似ている。

自分のその感覚を元にもうすぐ打とうとしている新しい生物学的製剤の事を考えた。トレムフィアをやめて別の生物を打つ予定だったのだ。

でもコロナの影響でいろんな疑問と不安が次々と浮かんだ。新しい生物を打つ前に早く医師に相談しなければと、私はすぐに病院の予約を取った。

 

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ケブネル現象とトレムフィア

先月会社で書類を整理していた時、段ボールの端で腕を少し切ってしまった。傷がかさぶたになった後、そこが乾癬の皮疹に変わってしまった。

乾癬患者の皮膚にとって外的刺激はなるべく避けなければならない。外的刺激により、その刺激を受けた部分が乾癬の皮疹に変わってしまうことをケブネル現象と言うのだが、小さな頃から私はその現象を経験的に知っていた。子供は外で遊んでいるとよく怪我をするし、虫に刺されたりする。その傷跡が乾癬に変わることはよくある事だった。

この現象にちゃんと名前があるということを知ったのは私が10代後半くらいの頃だった。

医者から教えられた訳ではなく、自分で乾癬を調べる中で出てきた言葉だった。まだインターネットも一般的ではなかった時代で私は何かの本でその言葉を知った。

ケブネル現象という言葉を知った時、私はかなり驚き、そしてものすごく安心したのを覚えている。

当時乾癬は本当に珍しい病だった。医者にもあまり知識はなかったし、「乾癬」という病名をこちらから告げると大抵の医者は表情を曇らせた。

「申し訳ないがうちでは治せない」と何人の皮膚科医に言われたかわからない。

そんな珍しい病のはずなのに、私によく起こっていた現象(傷跡が乾癬になる)にちゃんと名前があったのだ。

つまりそれは私だけに起きている現象ではないということ、そして世の中ではちゃんと乾癬や他の皮膚の病が研究されているんだという思いが、少しだけ私の孤独を和らげた。

過去に私は虫垂炎の手術をしているのだがその傷跡もしっかりと乾癬に変わっている。

だが生物学的製剤を打ち始めてからは、傷跡の皮疹も消え、怪我をしてもケブネル現象さえ起きなくなっていた。

それが先日出来た段ボールの傷でケブネル現象が起きてしまった。最近は体の皮疹も増えその厚みも増し、そして耳の中の乾癬も復活してきた。

逃げても逃げてもひたひたと乾癬は追ってくる。

でもこれは自分の体で起きていることだ。生きてる限り逃げられる筈もない。逃げるより戦うより、共存を選んだ方がもしかしたらずっとラクなのかもしれない。

でも生物学的製剤の効果を知ってしまった今、私はもう二度とあの肌には戻りたくはない。

この想いは贅沢なんだろうか。いや、この想いで苦しむ時が来るのは最初から覚悟していた筈じゃないかと何度も自問自答する。

今月は9回目のトレムフィアを予定している。でも私にとってトレムフィアはもうそろそろ限界なんだと認めざるを得なくなった。

 

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